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壱岐を廻る ―3― 少貳公園

 瀬戸浦の入江の先端のこの辺りは弘安の役の激戦地でした。1281(弘安4)年、瀬戸浦と勝本から上陸した元軍を、壱岐守護代の少貳資時(しょうにすけとき)がわずかな軍勢で迎え撃ちますが、激戦の末全滅したそうです。船匿(ふなかくし)城址のお堂に将軍地蔵も祀ってあるので、訪れたかったのですが場所を見つけることが出来ませんでした。
資時の墓少貳公園内には19才で亡くなったこの資時の墓があります。


碇石その近くには、弘安の役で殉じた日本の船舶のものではないかといわれる、左京鼻沖で発見された碇石(いかりいし)も飾られています。

防人の烽塔また、663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」で敗れた大和朝廷は唐・新羅軍の攻撃に備えて防人の烽塔をこの地に置いたといわれ、壱岐→馬渡島→呼子→大宰府と伝える仕組みで、こちらに馬渡島にある烽台の復元も設置されていました。
瀬戸浦現在は瀬戸浦の穏やかな風景が広がっています。


※郷ノ浦の「岳の辻展望台」の辺りにある見上神社は遠見番所跡といわれ、近くに烽台跡もあるようです。


少貳の千人塚
少貳の千人塚 少貳公園から少し下ったところにこの塚があります。千人塚とは元軍の犠牲になった一般人をまとめて弔ったもので、各地に多く残っているこの塚の分布が元寇の侵略範囲といわれます。

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【data】
長崎県壱岐市芦辺町
09/05/04:訪
少貳資時の墓
http://www.iki-brand.jp/info.php?bid=BA000072&key=少貳資時&page_num=1
◆◇◆地図はこちらから◆◇◆
少貳の千人塚
http://www.iki-brand.jp/info.php?bid=BA000073&key=少貳の千人塚&page_num=1
◆◇◆地図はこちらから◆◇◆
※『蒙古襲来絵詞』は九州大学デジタルアーカイブにてご覧になれます。

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