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武家蔵


武家蔵 武家蔵2 武家蔵3 武家蔵4 武家蔵5
 人吉の街には伝統や文化に触れられる蔵が点在しています。
永国寺から人吉城跡までの間にも2つあります。

 まず訪れたのは「武家蔵」。
隣のドラッグストアーの方が管理しているもので、お店で入場料を払い説明書きをもらって、藁葺き屋根の建物の方に案内してもらいました。

 この屋敷の正面に建つ堀合門(ほりあいもん)は、人吉城が明治4年の廃藩置県で取り壊される際に、相良家一族であった新宮 簡(しんぐう たけま)氏が35代藩主 相良頼基公から拝領して自宅の門にしたもので、もともとは人吉城の武者返しの横にあったのだそうです。現存する唯一の人吉城の建造物といわれ、人吉市重要文化財に指定されています。永年の歳月の間に亀裂が入ってしまっていますが、直目の一枚板の杉が使われています。

 門の前には武家屋敷の表示とともに「西郷隆盛宿舎跡」の看板も立っています。永国寺に本陣を置き、こちらに宿泊したのです。官軍の攻撃を受け、西郷さんが寝泊りした家は焼失しています。この時、この屋敷に大砲を打ち込んだのが、人吉駅裏手の村山台地に本陣を置く、官軍の指揮を執った新宮 簡氏自身なのだそうです。簡氏の息子嘉善(がぜん)氏は「人吉一番隊」の小隊長として退却する薩軍を人吉まで導いており、当時の屋敷の主・嘉善氏が屋敷を宿舎に提供したのでした。西郷さんが安心して休めるよう、自分や家族は親戚のところに移ったのだそうです。新宮氏は親子で官軍・薩軍に分かれての戦い、人吉の町は市街戦で焼け野原になり、西郷さんは数日前に人吉を出て宮崎に入り、人吉隊の大部分は降伏したそうです。

 その跡に現在建っている「御仮屋(おかりや)」は、球磨郡一丸から明治12年にやはり新宮氏が移築したものです。御仮屋とは、藩主が領地に建てた屋敷で、150~200年前のものなのだそうです。焼け野原になってしまった人吉の街の中で当時を偲ぶことが出来るのは、この移築があったからかもしれません。この「御仮屋」は人吉市の指定を受けていないので、現在の持ち主(案内もされている)の方が個人で管理されているのだとか。

 東海道五十三次をかたどったといわれるお庭を通って「御仮屋」にも上がらせて戴きました。奥の部屋は囲炉裏になっており、茅葺が燻されていい色になっているのも見えます。手前の部屋は天井がかなり低い造りになっています。これは刀を振り回すことが出来ないようにしているのだとか。この部屋の脇に扉があり、暗い廊下を通って階段を上ると、屋根裏のような二階になります。この二階の奥には間道(抜け道)が作られているのがわかります。

 堀合門の近くには「資料館」もあります。相良氏関連、西南の役関連・・・と、スペースが資料の量に追いつかない感じがするほどです。

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【data】
熊本県人吉市
2007/09/下旬
◆◇◆地図はこちらから◆◇◆
武家屋敷(武家蔵)
熊本県人吉市土手町35
九州相良蔵めぐり
http://www.hitoyoshi-hikari.com/kura_meguri2/title.html

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