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永国寺


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 翌日、町並みと人吉城址散策で私一人残ることに。(連れは、仕事が入ったのと城址散策にイマイチ乗り気でなかったので、先に帰ることにしたのでした)駅前で自転車を借りて出発です。
尚、人吉の街は坂が少なく高低差がさほどないので、電動ナシで十分。人吉球磨サイクリングロードも整備され、球磨川沿いを走るコースもあるようです。
http://www.pref.kumamoto.jp/site/kuma-hp/cycling-map.html

 最初に立ち寄ったのは「永国寺」。
観音めぐりの時に訪れた「石水寺」は、こちらを隠居された和尚さんが開いたものです。

 応永17(1410)年(15年説もあり)、第九代 相良前続(さがら さきつぐ)公が、人吉市内の東照山清明院をここに移し、実底超真(じっていちょうしん)和尚を招いて開いたとされています。大本山総持寺御直末、肥後三十三観音第九番札所でもあります。(“肥後”三十三観音というものもあるんですね(@_@;))

その実底和尚が描いたと伝えられている「幽霊の掛け軸」が本堂内に展示されています。また、奥にはその幽霊が現れたという池(写真2)も見られます。

 また、西郷さんが明治10年2月20日西南の役で熊本へ向かう際一泊し、熊本から退却し4月27日に戻った時には、このお寺に本陣を置きました。写真3/右下は本堂入口脇の「西郷本営跡碑」です。左下の「人吉二番隊士の碑」は向かい合うような形で立っています。6月1日の人吉市街戦でお寺は焼け落ち、明治24(1893)年に現在の本堂が再建しています。

 本堂から池へと向かう間に西南の役の錦絵がたくさん飾られていました。西郷さんの雄姿に混じって「鹿児島勇婦揃」と書かれた薩軍の妻達が薙刀を持ったものもありました(写真3/左上)。写真3/右上の書は西郷さんの直筆であり、その下には当時使われた砲弾も飾っています。

 昭和19年になって西郷さんの甥 従徳氏が、陸海軍の将軍とともにこちらに来て位牌を造り、先ほど触れた「西郷本営跡碑」を建てたのだそうです。池を眺める書院に従徳氏の額もかかっています。

 こうしたお話を住職がされているビデオテープも本堂に備え付けてあり、バスで来られたお年よりの団体さんも熱心に観ていました。

 本堂を出ると右手に観音堂(写真4/左上)があり、その横にはたくさんのお地蔵様が並び(写真4/左下)、人吉市文化財の「石塔」も見られます。

 近年建てられたという鐘楼門には、左右に木彫りの仁王像がありました。お顔がちょっとアニメチックだなぁと感じるのは私だけでしょうか???

尚、写真1は山門です。ここから人吉城址は一直線です。

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【data】
永国寺
http://www.hitoyoshi-hikari.com/history/02eikoku/02.html
熊本県人吉市
2007/09/下旬:訪

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