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壱岐を廻る ―7― 勝本城址(別名:武末城・風本城・雨瀬包城)

勝本
 豊臣秀吉は、大陸侵略に向け壱岐・対馬に「御座所」普請を命じています。
勝本城址に添えられた説明板によると「・・・肥前名護屋に本拠を置き、朝鮮半島への飛石的な位置にある壱岐勝本(勝本城)と対馬府中(清水山城)に出城を築き、上対馬撃方山と朝鮮釜山浦とを結ぶ補給路とし・・・1591年9月、秀吉の命をうけた壱岐の領主松浦鎮信(法印、平戸城主)は城山の頂上に城を築きはじめ、有馬晴信、大村善前、五島純玄のたすけをうけ短期日のうちに完成・・・。『壱岐名勝図誌』には城のありさまを『子城の址、竪四十七間一尺、横二十四間、玄の方に門跡あり』と伝え、『当城築立の礎、本多因幡守七ヶ年の間城番として在住せし』・・・」と、城番として本多利朝(俊政)が500人の兵を置いて駐留し、実際は秀吉は利用しなかったといわれています。

この普請を命じる秀吉の松浦鎮信に宛てた朱印状と共に、江戸時代に破城後の勝本城の様子を描いた『壱岐勝本城址図』は、平戸の松浦史料博物館に収蔵されており、複製を佐賀県立名護屋城博物館で見ることができます。

勝本城址2 駐車場から、石垣や櫓台があるという案内に従って歩を進めると、「城山公園入口」の看板が階段を指しています。鳥居があるのは、こちらに城山稲荷神社があるためでしょう。説明では天正20(1592)年に秀吉軍の海上安全と戦勝祈願で祀られたもので、現在では毎年旧暦の2月の初午の日に、壱岐神楽が舞われるとのことです。

勝本城址3 勝本城址4 勝本城址5
折れを繰り返した枡形虎口が、攻撃を想定して造られた実戦用の城であることを伝えています。
トップの写真はこの3枚を合成したもの。
勝本城址6 勝本城址7
左の石垣の前が東櫓台で、その石垣が次の写真になります。この城の石垣は鏡積みで積まれています。

勝本城址8『壱岐勝本城址図』でも描かれている石垣の破却の様子。


本丸側を背に、虎口の様子を撮ってみました。
勝本城址9 勝本城址10
勝本城址11本丸(城山公園)には礎石の跡も残っています。
勝本の港が望める展望台があるので登って見ましたが、あいにく曇っていたため対馬はくっきりとは見えませんでした。

 また、芭蕉十哲の一人で勝本で没し、勝本城址中腹に墓のある『河合曾良』の句碑も公園内にありました。駐車場から「城山公園入口」の看板までの間にも別の句の碑があり、傍らに曾良の生誕地・諏訪から送られたという諏訪大社祭の「御柱」が「観光音声ガイド」付きで飾られていました。壱岐のあちらこちらで見かけたこの「観光音声ガイド」、勝本城址用のものは無かったのですが。。。それだけ『河合曾良』が勝本の方々に愛されているということでしょう。

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【data】
長崎県壱岐市勝本町
09/05/04:訪
◆◇◆地図はこちらから◆◇◆
勝本城址
http://www.iki-brand.jp/info.php?bid=BA000083&key=勝本城&page_num=1
※『壱岐名勝図誌』は、九州大学デジタルアーカイブにてご覧になれます。
※地元の方が、『壱岐勝本城址図』と現在の石垣の様子を丹念に比較されているサイトもありますので、参考にされてはいかがでしょう。

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