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官軍上陸の地・・・日奈久路地裏散策―13―


官軍上陸


 薩摩街道の要所であった日奈久には、西南の役の史跡も残っています。
1877(明治10)年3月、官軍は日奈久の港から上陸。海岸警備をしていた薩軍を攻撃して占領します。これにより薩軍は日奈久からの食料補給などが絶たれ背後から挟撃されることになり、田原坂の敗北も大きく響いて、戦局は官軍有利へと傾いていきます。

 近くの旅館「八代屋」の二階の柱には上陸時の交戦で出来た弾の跡が残っているそうですが、現在は店をたたんでしまわれたそうです。


 尚、日中戦争の頃には、傷に良く効く温泉であることから陸軍病院の保養所にも指定され二葉山らの慰問などもあったそうです。

官軍上陸2

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【data】
熊本県八代市日奈久
~09/09/上旬:訪
※以前、西南の役関連の史跡を巡った様子はこちらにまとめています。
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山頭火の宿 おりや・・・日奈久路地裏散策―12―


おりや


 明治・大正・昭和と時代の流れとともに交通網も整備され、定期船で鉄道で「どこよりも日奈久」と多くの人たちが訪れ、乗合馬車や人力車が行き来して活気ある温泉地として栄えていきます。

そんな日奈久温泉に漂泊の俳人・種田山頭火も訪れています。「行乞記」の中に「・・・温泉はよい、ほんとうによい、ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、いや一生動きたくないのだが(それほど私は労れているのだ)・・・」と印象を書き綴り3泊ほど滞在します。「・・・此宿は夫婦揃って好人物で、一泊四十銭では勿体ないほどである・・・」と在るように、よほど居心地が良かったのでしょう。

 こうして日奈久に泊まったのが9月だったことから、例年この月に開かれるようになったイベント『九月は日奈久で山頭火』も今年で10回を迎えています。山頭火の宿泊先だった「おりや」も、期間中一般公開されています。

おりやの周りだけでなく、街のあちこちに丸木の板に山頭火の句を書いたものが飾られています。開湯600年にちなんで600枚あるのだとか。日奈久滞在中はあまりに寛いで創作意欲もお休みしたのか句を作っていないようですが、山頭火の魅力と日奈久の人たちの暖かさがこうした形になっているのでしょう。

おりや2 おりや3
 通りから細い路地を入ったところにおりやは今もありました。宿の中は急な梯子のような階段を上ると2階が8畳ほどの2間になっていて、こちらに宿泊したそうです。行商人や職人などが泊まるいわゆる木賃宿で、男女の別などで使われていたようです。

おりや4 外に出ると、もう一棟奥にレンガ造りの建物があり、母屋が一杯になったときにはこちらにもお客さんを泊めたそうです。普段は塩などが貯蔵されていたこの蔵。夏涼しく、冬暖かく、快適でお客さんには好評だったとか。これも、日奈久の賑わいを物語るエピソードですね。


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熊本県八代市日奈久
~09/09/上旬:訪
『九月は日奈久で山頭火』の記事はこちらから
※山頭火が酔って市電を止める騒ぎを起こした後、堂守として過ごした味取観音堂 瑞泉寺の記事はこちらから

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tag : 山頭火

太閤越・・・日奈久路地裏散策―6―


太閤越


 温泉神社の階段脇の嶋ヶ崎宇太郎の墓を通り過ぎると、おれんじ鉄道の線路上を渡る陸橋があります。この上から見られるのが「太閤越」。線路と写真左側の線路と平行に走っている小道です。

 こちらは、豊臣秀吉が九州平定のときに通った道なのだそうです。
大型車も行きかう、交通量の多い舗装された道路が当たり前の今の感覚では「え、こんな細い道なの?」と感じる向きもあるでしょうが、薩摩街道さえ整備される以前の時代であれば、さも在りなんと思えてくるのでは?
 海岸線の位置の違いもそうなのですが、史跡めぐりなどをしていると、今の感覚に当てはめると不自然に思うことも、その時代を想うと腑に落ちてくることに往々にして出会います。その度に、今の尺度がいつも正しいわけではないと教えてもらっているように感じます。

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熊本県八代市日奈久
~09/09/上旬:訪

土俵広場と嶋ヶ崎宇太郎の墓・・・日奈久路地裏散策―4―


桟敷


 中原邸から山側に細い道を上がっていき、おれんじ鉄道の線路を越えると善立寺。本堂の龍の彫刻が見事です。そちらを過ぎ、緩やかな上り坂では「ここでチャンバラを・・・」と、子供の頃よく日奈久に来られた方とのお話も弾みながら、温泉神社の階段脇へ。そこから階段を上がると、土俵を囲んで石作りの桟敷がある広場があります。全国的に見ても、このような桟敷席のあるところは珍しいのではないでしょうか。

嶋ヶ崎 江戸時代、嶋ヶ崎宇太郎というあまりに強くて恐れられていた力士が、横綱に挑戦しようと江戸へ向かいますが、刺客により毒殺されてしまいます。地元の方々はたいそう悲しんで墓を作り、嶋ヶ崎関を偲んでこの相撲桟敷を建てたのだそうです。その墓は神社へと上がる階段の一番下の鳥居の横にひっそりとありました。

桟敷 年に一度行われる奉納相撲のための桝席は個人所有となっており、その値段もかなりの額であったようで、これを持っていることが日奈久の富の象徴でもあったようです。その桝席がたくさんの人で埋め尽くされた当時の写真も見せていただきました。

桟敷2 写真4は、桝席を区切っていた枠を復元したものです。桝席自体も修復され、近年はダンスイベントなど、さまざまな催しに使われています。また、周りに植えられた桜が春には美しく咲き誇るそうです。

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熊本県八代市日奈久
~09/09/上旬:訪

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村津邸・・・日奈久路地裏散策―2―


なまこ壁


 上野窯のお店の裏の手足荒神さんにお参りをした後、味噌・麹委託加工の看板がある丸山商店さんの前を通って、村津邸へ。日奈久の風景としてパンフレットなどにも度々登場する、なまこ壁が特徴的な建物です。先ほどの丸山商店さんなど、この辺りは他にもいくつか、こうした土蔵が残っています。
なまこ壁3 なまこ壁4 なまこ壁2
100件あまりも燃えてしまう大火が度々あり、防火のためにもこうした建築が普及したそうです。こちらの模様が亀の甲羅のようであることから、亀甲壁とも呼ばれるとか。

 1862(文久2)年築で商家であったそうですが、なに屋さんだっだかを覚えている方は残念ながら居られないようで・・・。いずれにしても、母屋・北倉・西倉と、かなりの広さのどっしりとした建物は、日奈久の街が栄えていた様子を彷彿とさせます。

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